映画「真昼の決闘」とマッカーシズム、そしてM.モンロー

「真昼の決闘」は名画だとの前評判に期待して見てみたものの、はじめはさほど強い印象は残らなかった。最近になって、その自分の鑑賞力の浅薄さを恥じた。

福井次郎氏の「マリリンモンローはなぜ神話となったのか」(言視舎刊2013年刊)は、1950年代前半のハリウッド映画にとても重要な視点を提供してくれている。

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当たり前のことながら、ハリウッド映画は当時のアメリカ社会の事情を強く反映していた。
例えば「映画カサブランカ」で書いたように、この映画自体、反ナチズムへの戦意高揚に貢献した作品といってよいことはよく知られている。確かに、政府が後押しした形跡は表向きにはないが、ハリウッドの映画人がそうした「政治的効果」を意識しなかったとは言えない。
戦前、ナチズムに嫌気がさして、あるいは追われてヨーロッパ大陸から多くのユダヤ人が「自由の国」アメリカに流入していた。ハリウッドにもそうしたユダヤ人たちが多く活躍していた。

戦後の本格的な冷戦構造の顕在化(47年トルーマンドクトリン)とともに、反ソ連ムードの高まりを利用した、いわゆる「アカ狩り」がハリウッドを一時席巻したことは、自分なりに生半可な知識ながら知っていた。また、その時流に便乗して自らの権勢欲を画策したいかがわしいデマ政治で、「マッカーシー」という悪役の名前をなにかで記憶してはいた。
若き日のニクソンやレーガンも、実はこの現象に便乗した過去を持つらしいということも、どこかで読んだ覚えがある。

確か、あのチャップリンも「アカ狩り」でハリウッドを追われた一人だった。機敏に逃げ回る浮浪者と間の抜けた警官のドタバタ劇を観れば、そこにチヤップリンの権力者(あるいは当局)への揶揄が明瞭に読み取れる。保守派にとっては、さぞかし目障りな映画であったろう。

しかし、西部劇「真昼の決闘」(1952年)をマッカーシズム批判という視点から読み解く方法があるとは、まったく気づかなかった。これを説得力をもって提供してくれた福井次郎氏の「マリリンモンローはなぜ神話となったのか」(2013年刊)は自分の視野を大いに開いてくれた。

そして、改めて映画は作られた時代を反映しているものだと痛感した。

映画のあらすじはこうだ。
結婚を機に退任しようとしている保安官(ゲーリー・クーパー)のもとに、かつて牢屋にぶちこんだ悪漢が出獄して「お礼参り」にやってくるらしい、という知らせが入った。その列車の到着時間が「High Noon」 という設定。

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保安官と新妻

相手の悪漢は都合4人。到着時間は刻々と迫ってくる。保安官は一人では多勢に無勢なので、町の住人に助っ人を募る。ところが臆病風に吹かれた人々は皆、関わりを恐れて加勢しない。

美しい新妻(グレース・ケリー)も、勝ち目のない危険な戦いに挑むことに反対して保安官のもとを去ってしまう。彼女はクエーカー教徒という役柄。

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たった一人で戦う保安官(ゲーリー・クパー)

やむなく保安官は恐怖感に怯えながら、たった一人で不利な戦いを挑むはめになる。決してかっこいい話ではない。

ここでお定まりの激しいガン・ファイトがあって、保安官は負傷しながらも奇跡の逆転勝利を果たす。

激しい撃ち合いはそれなりに見ごたえがある。
だから、ほかにもある同類の「西部劇」のひとつに思えた。
ガン・ファイトを目玉にした、ありふれた西部劇映画だと思っていた。

さて、からくも勝った保安官のもと、尊敬の眼差しで集まってきた町の人々を前に保安官は、吐き捨てるようにバッジを放り出して立ち去るのだ・・・・・・。それは臆病風に吹かれた人々への、軽蔑を込めた行動なのだろう。

たった一人で正義を守り抜いた「英雄譚」だけど、なんかシンプルな話だな、という印象だったのだ。
それに、悪を恐れて尻込みする根性ナシばかりなのがちょっと期待はずれだなぁなどという、素朴な疑問も残った。アメリカの原点にはもうちょっと「自治、共助」の精神があったはずなのに・・・・。
同じ年の西部劇「シェーン」(1953年)では悪役の牧畜業者との戦いに立ち上がる素朴な開拓農民がいて、そこに主役であるさすらいのガン・マン「シェーン」が正義の助っ人としてさっそうと登場した。目の覚めるような、見事な早撃ちだった。男の子なら、誰でも憧れる。

ところが「真昼の決闘」では、恐怖感を隠せない保安官は決してスーパーマンではない。孤立無援のなかで4人組の凶悪犯を相手に悪戦苦闘せざるをえなかった。
その違いに深い意味があることを見抜けなかった。
それは、この作品に込められた製作者たちの切実なメッセージを見落としていたからなのだったのだ。

福井氏の分析によると、これは発表された当時(1952年)のハリウッドの映画人のおかれた政治的現実を暗喩しているのだという。同時代の人々はマッカーシズムの狂気を映画に重ねて観ていたらしい。痛烈な批判精神の映画だったのだという。(ただし、監督は「暗喩」を否定している)

「・・・・・しかし、この映画で描かれた民衆の有様は、まさに当時のアメリカ市民、それもマッカーシズムに慄くハリウッド村の住人と生き写しだったのである。・・・・人々の多くは昔の仲間を裏切り、赤狩りの恐怖に屈していた。かつてナチズムと戦ったハリウッドという共同体は、マッカーシズムという新たなナチズムの出現によってバラバラに解体してしまったのだ。それを捕まった凶悪犯がムショからでてきたという設定に置き換えたのは見事としか言いようがない。」(124項)

監督はフレッド・ジンネマン、制作はスタンリー・クレイマー。
しかもスタンリー・クレーマーは2年後の「ケイン号の叛乱」の制作者でもあり、このときの監督エドワード・ドミトリクは赤狩りで転向した人物だった。脚本は赤狩りのため地下に潜行していたカール・フォアマン。まだ名前は出せないでいた。

してみると転向したとはいえ、監督ドミトリクのメッセージは一筋縄ではない。「ケイン号の叛乱」について、もう一度福井氏の視点を考慮に入れて考えてみよう。

勿論、海軍が全面的に協力したからといって、転向したドミトリクが権力に阿諛追従するためだけに作った映画だとは言えない。もっと込み入ったハリウッドの内部事情を反映していることになる。

むしろ、「魔女狩り」のようなマッカーシズムの狂気のなかにあって、戦うふりをしながら、いざ本番になると小狡く保身のために立ち回り、仲間を裏切った映画人を強く批判しているとも読み取れるのだ。
その役柄をケイン号のインテリ通信長にダブらせて描いたのだ、ということになる。

そう考えると、これはリアルな社会的メッセージ性がある。

なぜかというと、マッカーシズムに怖じて仲間を裏切った連中への批判を込めながら、ちゃっかり米海軍御用達の映画に仕上がっているからだ。
もう一度よく吟味してみよう。

弛緩した軍規をただすと期待された新任艦長(ハンフリー・ボガード)が実は偏執病的な小人で、その異常行動を皆が感じつつ誰も制止できない。
ある日、台風に巻き込まれ、木の葉のように揺れる船体は海難事故寸前、もはや不適格な艦長の指揮のもとでは皆の生命の保障ができないと思われる局面に立ち至った。戦場にあって艦は乗組員の運命共同体だ。
このとき、どちらかというとそれまでは素朴に艦長を護ってきた副長(指揮のNO2)が意を決して叛乱し指揮権を奪い、艦は救われたが事態は軍事裁判に持ち込まれた。

ところが、もともと艦長を指弾していた同僚で小説家志望のインテリ通信長は「叛乱罪」(極刑は免れがたい)を恐れて、裁判では真相を証言しなかった。いわば「敵前逃亡」という最も卑劣な保身を図った。これは下院非米活動委員会の証言台で、「仲間を売った」映画人の姿を暗示している。

実際のマーッカーシーもまた、確かにパラノイアを疑われても仕方ないような異常性格者だった。(「マーカーシズム」R.H.ロービア 岩波文庫1984年刊)
しかし映画「ケイン号の叛乱」はマッカーシー本人だけを非難した単純な映画でもなかったのだ。むしろ同情すべき要素も滲ませている。マッカーシーを生み出し、一緒になって魔女裁判に興奮した、
マッカーシズム現象全体の放つ社会病理をこそ抉ってみせた作品だったということになる。

だとすると、深い批判の観点がリアルに現実を言い当てているではないか。

また、この映画とは別に見逃せないのは「ローマの休日」(52年)の脚本が、すでに47年に下院非米活動委員会での転向を敢然拒否して地下に潜っていたダルトン・トランボだったということだ。映画発表当時は実名を明かせなかった。

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下院非米委員会の聴聞会でのトランボ 夫妻

ワイラー監督の狙いの一つは、トランボの仕事を採用することで結果的には支援する、ということでもあったらしい。そのためにも、何かと監視や密告の危険のあるハリウッドでの制作を避けて、海外でのロケにこだわった。
もちろん著者が指摘するようにアメリカの経済援助の一環として、海外ロケが増えたことも背景にあったが、逆にそれを活用した。
また、そうした事情があったからこそ、当時ハリウッドではまったく無名のオードリーに白羽の矢が当たったともいえるのだ。彼女はベルギーの出身で、当時イギリスで女優業を始めたばかりだった。つまり、ハリウッドには「汚染」されていない新人だった。
そしていきなりアカデミー主演女優賞に輝く。
まさにヘプバーンは幸運のシンデレラだったということになる。

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戦前に比べてこの時期のハリウッドでは、製作者や脚本家が次第に力を持って台頭して来たようだ。その中で多数のすぐれたユダヤ系人材(トランボ自身は生粋のワスプらしいが)が映画界に登場している。

そして、もうひとつ見逃せないのはこの根深い「ユダヤ人差別」。

政敵ともいうべきチャップリンの作品をはじめ、もともとハリウッド映画を快く思わっていなかったFBIのフーバーなど頑迷な保守派は「ユダヤの殿堂」ハリウッド攻撃のチャンスを虎視眈眈と狙っていた。
今から考えるとナンセンスだが、共産主義を裏で動かしているのはユダヤ人だという、俗耳に入りやすい陰謀説までまことしやかに出回っていたそうだ。
40年代後半からソ連の核開発、宇宙開発のめざましい躍進があって、やがてアメリカを追い抜くのではないか、という漠然たる焦燥感もあった。49年には人民中国が誕生し、50年には朝鮮戦争も勃発。
共産主義の台頭が、大きな脅威として喧伝された。

それまでは、共通の敵「ナチズム」打倒でルーズベルト政権の容共リベラリズムが力をもっていたので、沈黙を守らざるを得なかった「反ユダヤ勢力」が好機到来とばかりに、冷戦を背景に息を吹き返した。いわゆる「保守反動」。

「共産党の脅威」を過剰に宣伝するデマがハリウッドにも襲いかかったようだ。
これは我々にとってもおおいに学ぶべき歴史の教訓だと思う。

ちなみに敗戦国日本にとっても、戦後社会の再建にあたって、ニューディーラーたちのアメリカン・リベラリズムの潮流がおおむね幸いしたといえるだろう。軍国主義の撤廃、財閥解体、農地革命、国家神道の排除、平和憲法の制定などこの時期の日本再建のための「民主化の基礎づくり」に大きな貢献をしたと思う。平和と民主主義には圧倒的多数の日本人の支持があった。
だからこそ、本人の政治姿勢はよくわからないが、マッカーサーの退任(51年)を多くの日本人が惜しんだのではないだろうか。
アメリカの占領政策で最も成功したのが「対日占領」と言われる所以だが、これに比べると他はほとんど失敗に帰していることも不思議だ。

占領政策の途中で折からの冷戦を背景に、日本でも「レッド・パージ」が発動されが、すでに開明的な民主化の基礎が定着したあとだった。その好影響は今日にも続いているように思う。
私自身は、どちらかというとこうした「戦後的所産」を肯定的に評価したいと思う。
しかし、このときの占領政策の前期と後期の矛盾と葛藤が、今日まで尾を引いているのかもしれない。

「・・・・してみれば、赤狩りを仕掛けた黒幕にとっては、狙いは最初から『ユダヤの殿堂』に定められていと言っても過言ではない・・・・しかし、戦後、ソ連という新たな敵が登場したことで・・・・・今度は赤狩りと称して『ユダヤ人の殿堂』に攻撃をしかけてきたのである。その際彼らが手にした武器が反共イデオロギーだった。・・・・・」(「マリリンモンローはなぜ神話となったのか」 110項)

アメリカ共産党=ユダヤ人=反米(親ソ連)という具合に、大衆を騙すのにもってこいの単純なデマ宣伝を垂れ流し煽った。これが折からの冷戦ムードを背景にして大衆の恐怖感を募らせ、異様な興奮状態の中で多くの映画人の政治生命を奪った。
真実を見抜けない大衆も、なだたるハリウッドの有名人が登場する、あざとい政治ショーに熱狂してしまった。

ところでその大衆の無意識が、同時に今度は予想外の反転して逆作用を起こす。ここがいかにもアメリカ的だなと妙に感心したのは、この世相にマリリン・モンローの果たした役割。
福井氏の興味深い指摘を読んでみよう。

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56年に結婚した彼女の夫アーサー・ミラー(ユダヤ系)はマッカーシズムの標的そのものだった。
その年、彼は現代の魔女狩り裁判と化した「下院非米活動委員会」での証言を拒否、徹底抗戦の構えを貫いたため法廷侮辱罪で有期刑を言い渡された。しかしマリリンは、夫の裁判費用を負担するとともに献身的に支えた。
彼女が大衆の支持を圧倒的に得ていた女優であったことが、ミラーの戦いを有利に展開させたのだという。
大衆社会のダイナミズムに注目したい。

「・・・・もちろん時期がマッカーシズムの終末期にあたっていたことが理由の一つだが、彼(ミラー)の言葉の力と妻マリリンの助力に負うところが大だった。彼の誠実な証言は、追及する側の羞恥心を呼び覚まし、また、マリリンが熱心に彼を支えたことがアメリカの世論を変えていった・・・・」(同著 148項)
「ここで強調しておきたいが、実はマッカーシズムを最終的に葬ったのはマリリンであったと言えるのだ。・・・・・心ある人は(マッカーシズムが)異常事態であることを認識していたが、結局世論が変わらなければあの狂気を止めることはできなかったからだ。マリリンのバックにはアメリカの大衆がついており、彼女があけすけな笑顔で非米活動委員会を批判することで、委員会の動きも鈍っていった。
その意味でマリリンは偉大な女優だったのである。・・・・・あのコケティッシュな笑顔と悩殺ポーズは間違いなく一般大衆が心から愛したものだったからである」(153項)

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アーサー・ミラーとマリリン・モンロー

この説得力ある分析が真相であれば、実に嬉しくなる。なんとも愉快千万な話しではないだろうか。
個人的にもそうあって欲しいと願う展開だ。大衆芸能をバカにしてはいけないと思う。

実は不幸な生い立ちにも拘わらず、銀幕に写ったそのあっけらかんとした底抜けの明るさが、いかにもアメリカ人気質におおいに受けたのではないだろうか。
今日から見ても、無邪気で悪意が感じられない笑顔なのだ。

出世作ともいうべき映画「ナイアガラ」(51年)でも、本来は行儀の悪い悪妻を演じたのだろうが、陰にこもる暗さは少ない。有名な「モンロー・ウオーク」で一躍人気を博したが、今日のほとんど崩壊状況にあるモラル水準から見て、まだ無邪気なレベルの姿態に思える。

54年の朝鮮戦争の兵士慰問でも爆発的な人気を博していた。
野球の英雄ジョー・ディマジオとの派手な結婚と離婚など、ともかく破天荒な話題に欠かない。それでも大衆の熱い支持は不動だった。そのモンローが左翼の劇作家アーサー・ミラー(ユダヤ系)と再婚したのだった。しかも、彼女はユダヤ教に改宗もしているのだ。

特に、次に紹介されている58年のM・モンローのインタビューには感激した。

「・・・・記者に対して『夫が勝つことを少しも疑ったことはありませんでした。だって私はジェファーソン(米国憲法起草者)を読んでました。かれに従えば、これ以外の結末はありえませんもの』と発言し、ウクレレを手に『幸せな日々がまたやってくる』と歌ったのである・・・・」(同著 344項)

まさにヤンキー娘の真骨頂と拍手喝采したい。彼女の言う通りだ。
M・モンローとアメリカ建国精神という組合せが実に素晴らしい。陰険な政治的陰謀を、完膚なきまでにあっけらかんと撃ち返してみせたところがすごい。
マドンナがいくら真似をしてみても、やはりモンローの歴史的な「偉業」には及ばないわけだ。

しかし、残念ながらその後二人は61年に離婚し、62年にマリリン・モンローは衝撃的な死を迎える。だがその人気は今も衰えない。
彼女の果たした役割を、政治的に都合の悪いものと考えていた勢力があったので、その死の真相をめぐって著者もいくつかの他殺説に言及している。
そこにケネディ兄弟が登場したりという次第で、今日でも尚、マリリンらしくスキャンダラスな話題に事欠かないことがこれまたすごい。
ここではマッカーシズムが主題なので、M・モンローの人物像については、稿を改めて記してみたい。

「・・・・それにしても、こうして振り返ってみれば、50年代というのは、人間や社会に対する真摯な考察が込められた映画が実にたくさん作られていたことが分かる。・・・・映画人はやはり映画を通じてマッカーシズムと闘っていたのだ。・・・・この黄金時代の諸作に比べれば、今のハリウッド映画の多くがこけおどしに見えるのは私だけだろうか。どのような目新しい映像表現もやがて飽きがくるが、この時代の映画はいくらみても飽きることがない。・・・・・」(304項)

著者の見解にまったく同感。

ナチズム、マッカーシズムという権力の圧政、圧迫に抗して闘った人々の心意気と智慧を読み取る視点を、おおいに学ぶことができた。

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