「Roman Holiday」& Audrey Hepburn  少女からおとなへ

<現代のおとぎ話>

無題
  この映画のすばらしさについては、 今更、素人の私が多言を弄するまでもないかもしれない。

オードリー・ヘプバーンは日本では格別に評判の高い女優さんだ。 彼女はもともとバレリーナ志望で、10代のときに通ったレッスンで、この姿形を作ったようだ。
さらにジバンシーの創案した衣装デザインが、そのスタイルを芸術的に生かした。
経過から言えば、彼女の方がジバンシーを選んだのだという。
「アン王女」は今見ても、センス抜群の新鮮さ。

そしてあの特徴的な、生来の大きな瞳には誰もが魅了されるだろう。「破顔一笑」という言葉があるけど、パッと周囲に光明が放射するような無邪気な笑顔だ。
眼で演技ができる女優だとも聞いた。

母方がオランダ貴族の出身であったことも、彼女の持つ洗練された雰囲気の所以だろう。父親がイギリス人であり、子供のころからベルギー、オランダ、そしてイギリスで生活をしたので、複数の西欧言語に通じた。
映画「ローマの休日」の中で、各国の記者たちとあいさつを交わす場面でも数か国語を使い分けているが、不自然さはない。 そう言えば、「シャレード」の主人公レジー役では、英仏語同時通訳者という役柄の設定だった。

シャレード
シャレード

実際、フランスの報道機関のインタビューにはフランス語で応じているし、 微妙なニュアンスだが、その英語はアメリカ英語にもイギリス英語にも限定されない語感なのだそうだ。

この映画自体はローマを舞台にしているが、実生活では結婚生活をイタリアで営み、最終的にはスイスで生涯を終えた。つまりハリウッドには住まなかった。
意外にこの「汎ヨーロッパ性」も、魅力の秘訣ではないだろうか。

「ローマの休日」は一言でいえば、一人の少女(アン王女)がひとときの冒険と恋愛を経て、大人の女性に変身する「おとぎ話」だと思う。
タイトルは、正確に訳せば「ローマ人の休日」になるのではないだろうか。

王女としての分刻みの退屈な公務に倦み疲れてヒステリーを起こしたアンは、夜陰に紛れて旅先の王宮を逃げ出す。そして偶然にであった新聞記者ジョー・ブラドレー(グレゴリー・ペック)の寓居に転がり込んでしまう。ブラドレーはお人よしで長身、典型的なアメリカ人ナイス・ガイというキャラクター設定。

行き掛かり上ではあるけど、身なりの良いうら若い女性が独身男性のアパートメントに転がり込んで、その男性のパジャマを借りて・・・・しかも堂々たる態度で、相手を召使いのように扱いながら・・・寝てしまう。
くだんの長身の男性記者、演ずるグレゴリー・ペックの好人物ぶりも好感度抜群。
コミカルなハンサム紳士ぶりに、多くの女性が魅了されるだろう。 古き良きアメリカ人青年の理想像を演じているなぁ、と思うのだがどうだろうか。彼のイメージは、もっぱら女性からの理想像で造形されているように見える。

しかし、この青年はもひとつぱっとしないローマ駐在記者で、本心はニューヨークの本社帰りを希望している。こうるさい支局長とのやりとりも微笑ましい。

そこに偶然飛び込んだ身元不明の女の子。
その驚くべき高貴な正体を知ってブラドレー記者は、一計を案じる。

相棒のカメラマンを共謀者にして一世一代のスクープをものにしようと企んだ。これでニューヨークに帰れる。しがない駐在員生活ともおさらばだ。支局長への借り(賭け事の借金)も万事返済して、さっさとニューヨークの本社に帰ろう。

5_audryいっぽう、王宮に閉じ込められていたアンは庶民的な遊びに憧れている。アンをうまく誘い出し、二人はローマ市内を一日デートする。ローマの名所旧跡めぐりだ。

こうしてわずか一日一昼夜、束の間のドタバタ劇がコミカルに展開する。

王女の素性を知りながら、世紀のスクープネタにしようという魂胆を秘めて市内見学の案内を買って出たブラドレー。
無垢な王女の可憐さ、純真さに良心の呵責を感じ始めた頃、二人の間にほのかな恋心が生じる、というストーリはいたって単純明快な青春恋愛編。

典型的な現代の(否、1953年公開だから、もはや20世紀半ばのというべきか)おとぎ話だといわれている。
にもかかわらず、いまだに各地でしばしば上映され、そのつど新しい世代の熱い感動を呼んでいるようだ。

モノクロ映画なのだが、オードリー効果というべきか、私にはカラー作品であるよりもイマジネーションが刺激される。アン王女の会見場など、豪華絢爛たる王宮に見えるから不思議だ。

Roman Holiday撮影場面 観光案内よろしくローマの名所旧跡を巡る若い二人。
はらはらするようなオートバイの二人乗りも経験。
信号無視で警察につかまるが、外国人特派員の新婚旅行だとかいう、かなりいい加減な理由で切り抜け無罪放免となる。ローマ警察の「ゆるさ加減」がとてもいい。

二人を祝福する、下町庶民たちの素朴な人懐こさにも心温まる。皆が、王女様の束の間の冒険を、優しくサポートしているかのようだ。
だから、観ていてこちらも嬉しくなってしまう。

彼女はたまさかにであったこのアメリカ人好青年に心惹かれるが、それは所詮限られた間だけの、イレギュラーな出会いに過ぎない。

やがて王女奪還作戦に故国から一団がやってきた・・・・これが半日足らずでローマに動員できるのは、考えてみると不自然なのだが、そうした分析的な見方は野暮というもの・・・・故国の秘密警察の介入とともに、王女の「祭り」はたちまち混乱のなか、喜劇的フィナーレを迎える。

我に返った王位継承者としての責任感から、アンは再び王宮に帰還した。彼女は身分の違う一青年とのラブ・ロマンスが、結局のところ成就しない運命にあることを熟知しているからだ。
この過程でアンの精神的な変身(成長)が起きる。

自らの意思で帰ってきた王女を目の当たりにして、側近たちは驚愕の面持ちでアンを迎えるが、アンはもはや昨日までの駄々っ子ではなくなっていた。
次期国家元首として国家、国民への義務を、決然と担う女性にすっかり変身していたのだ。つまり、自らの運命を積極的に担う「大人の女性」になって。

アンの変身を危ぶむ側近の伯爵夫人たちを尻目に、今や堂々たる威厳をもった王女として、「夜が遅い、明日は早いから、皆早く休むように」と指示して帰す。
印象的な場面は多いが、私が感心したひとつのシーンはそのあと、王宮でたった一人になったのアンの振る舞い。無言で夜景を見るべく窓に向かうの姿だ。名残惜しい、束の間の思い出を求めて戸外に引き寄せられるシーン。そこからは、あの束の間のダンスを楽しんだ舞台が見える。

窓外を眺めるアンの姿は、「世俗世間への尽きせぬ未練」を暗示しているかのような余韻を我々に与えている。
「寂寥感」がひしひしと迫ってくるシーンだ。

誰にとっても、運命の自覚は孤独なものなのだろう。
おとなになるということは、「所与の条件を積極的に引き受けて立つ」ときなのだろう。 深い意味を感じる場面だ。

この演技はバレエで鍛えた歩き方なのだそうだが、宮殿のフロアーの上を、まるで滑るように主人公がスルッと一直線で窓に向かって歩むところ。とても優雅で美しい場面。

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そして翌日の王女記者会見。

なんと、その中に昨日一日つきあってくれた青年とその相棒を発見する。アンの表情にも驚きと不安がさっとよぎる。

なぜこんなところにブラドレーたちはいるのだろう。
実は、それが新聞記者と報道カメラマンであることを知り、アンは内心おだやかではない。

しかし、記者会見の質疑にひっかけて、ブラドレーはアンとの出来事を「ふたりだけの秘め事」としていく誓いを述べ安心させる。表面的にはいかにも儀礼的な記者会見の会話だから、二人以外の誰も真意には気づかない。
若いふたりの間だけの「秘密」が通い合った。

ここも心に残る素晴らしい場面だ。
初恋は秘め事なのだ。そして成就しない。

別のある記者が王女にヨーロッパ訪問の印象を尋ねる・・・・。
それまでは事前に吹き込まれた型通りの返事をオウム返しに述べていた彼女がここで、思わず想定外の返事をしてしまう。
この部分がこの映画の白眉のひとつでもある。 彼女は記者の質問に応えるふりをしながら、やむにやまれぬ本音を吐露した。

Each in its own way…….

Rome! By all means, Rome.
I will cherish my visit here in memory as long as I live.

「どこの国もそれなりにすばらしかった・・・・・・いえ、やはりなんといってもローマです! 私はローマの思い出を生涯心に抱き続けることでしょう!」と。

荘厳な会見の部屋に、アンの凛とした、それでいて余りにもせつない声が響き渡る。
美しい言葉だと思う。

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心の底から突き上げてくるような、やみがたい青春への惜別の情。
それはブラドレーへの熱い愛情告白でもあった。

そして、あの大きな瞳をブラドレーに差し向た。
見つめあうブラドレーの眼も濡れている。
この一瞬、二人は万感を込めて見つめ合った。
それは若い二人だけに許された、瞬間にして永遠の時空間なのだ。

会見場には、記者たちのどよめきが起きた。
王女の想定外の発言に、側近たちも驚いている。しかし、「真実」はふたりにしかわからない。
二人の心を知る我々には、しびれるような感動の瞬間でもある。

さらにアン王女は当初予定になかった記者たちとの握手を申し出て、階段を下りる。この行動も予定外だから、侍従たちも何事が起こるのかと不安顔。

アンは、各国のローマ駐在記者と短い挨拶を交わしながら優雅に握手を交わす。彼女は記者それぞれの国の言語を使い分けて軽く挨拶する。記者たちにとっては光栄な王女の「ご配慮」なのだろう。

そして、いよいよブラドレー記者の番になると、その実名を呼んで手を握るのだ。

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So happy Mr.Bradley

So happy, Mr. Bradley. 「光栄です、ブラドレーさん。」
おとといの初対面の夜のときと同じ言葉を、彼女は最後に送ったのだった。

相棒の報道カメラマンは、アン王女をこっそり撮った特ダネスナップ・・・・ふたりはその写真と記事で一儲けしようと企んでいたのだ・・・・を「ローマの思い出に」と差し上げる。アンはちらっと中身を瞥見するが、すぐに封をする。他見無用だ。

記者会見は終わり、舞台にはうつむき加減に去りゆく王女の靴音だけが静寂の中、高く響き渡る。
かくて二人には永遠の訣別が訪れた・・・。なんとも胸ふさぐ余韻が場面を圧する。

ブラドレー記者は会見が終わって皆が引き返しても、しばらくはその場から動けないでいる。その心情を思いやって、相棒も言葉なく静かに先に退出した。

たった一人取り残された、だだ広い豪華絢爛の会見場。今は人々も去り、静寂に包まれた。
やがて気を取り直して帰路に就こうと歩むのだが、両手をズボンのポケットの入れたまま、ブラドレーは王女の舞台を未練がましく振り返る。
シンと静まり返った壇上にはもはや誰もいない。フロアーの両サイドには直立不動の衛視が無言で佇立しているだけ。
そこにはもはやアン王女の姿はない・・・・。

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この場面もつくづく心に沁みる別れだと思う。

私はなぜか日本の「竹取物語」で、貴族たちの求婚を断って月の世界に帰る竹取姫を想起する。

分別クサイ言い方だが、「別れ」が愛を永遠たらしめることもあるのだと感じさせられる。

我々の平凡な人生には、こんなことは起こりえないけど、この「おとぎ話」を疑似体験できるだけでも、豪華で贅沢な映画ではないだろうか。
「愛別離苦」という仏教の言葉を思い出す。
実は、誰しもが人生で経験せねばならない「別れ」の一典型なのだろう。
でも、そう気付いた時にはもう過去の話になっているのが人生なのだ。

ところでこの映画、実はハリウッドに吹き荒れた「マッカーシズム」を避けるためにも、あえて現地ローマで作成されたという経緯があるようだ。監督も狙われていたし、シナリオ・ライターのダルトン・トランボも映画では実名は出せなかった。 「共産主義者」の疑いをかけられていたからだそうだ。
そうした意図的な政治的プロパガンダに俳優グレゴリー・ペックも反対して監督を支持していたという。

<ヘプバーンの人柄>

さてしかし、「ローマの休日」から話題は離れるけど、オードリーについて感心したのは、表面的な美しさだけではなかったということ。

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彼女の伝記を数種類読んでみた。
天与の才能と幸運に恵まれた20世紀最大の女優であったのだけど、そのうえで自分を見失わずに、生涯、真面目な精進を積み上げた人でもあったのだろうと想像される。

2度の離婚や度重なる流産、世界的に有名になったが故のプライバシーの侵害など、平凡人では経験しない苦労もあったようだ。
あれほど家庭の平和と子供を欲しがっていた彼女にとって、いかに困難な道のりであったことか。

実は少女時代、彼女は実家のあったオランダで第2次大戦の市街戦に巻き込まれ、九死に一生を得たという経験をした世代なのだ。地下室で、チューリップの球根の粉で作った菓子をかじって生き永らえたこともあったという。レジスタンスに募金もしたらしい。
やっと連合軍に解放され、ユニセフの前身の機関が提供した食糧援助でかろうじて飢えをしのいだそうだ。

オードリーに限らず、この時代は悲惨な戦争体験をした同世代の人がたくさんいた。その世代が彼女の映画を観ている、ということも忘れてはいけない観点だ。

更に、ある伝記作家によると、ヘプバーンの両親がかつてナチスと関係があったことを暴露している。オードリー自身には関係のないことだが、いつスキャンダルとして騒がれるかもしれないという緊張感があったに違いない。ナチとなんらかの関係があるというだけで、すべてキャリアがご和算になりかねない時代でもあった。戦争責任の曖昧な日本とはかなり事情が異なる。156full1FGJSK3U

あの明るい笑顔の裏には意外にも両親の離婚、6歳で生き別れた父親への思慕、戦争と貧困など、それ相応の苦悩や葛藤、そして苦労もあったのだろう。

だから女優であるよりも前に、まずは一人の女性として、そして妻として、あるいはまた母親として、平凡に幸せを求めて精一杯努力した人生であったように想像できる。
地位や名声を得ても、自分を見失わなかった。

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奥行きの深い人柄だったのだと思う。

だからこそ、晩年のユニセフでの貢献でも、よくあることだが、チャリティーでごまかしてお茶を濁すような偽善性はない。自ら直接現地に駆けつけた。
勿論、世界的な女優としての彼女だからこそという報道効果も計算に入っている。
子供の頃の市街戦に巻き込まれた経験が、アフリカの飢餓に苦しむ子供たちに寄り添い、その目線で救援活動に挺身するきっかけになったのだろう。
何よりも人命を慈しむ心があると思う。
飢餓地獄の子供たちに、全身全霊で尽くした晩年でもあったという。

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晩年の写真には、若き日の美しさとはまた違う人間の輝きがあるのではないだろうか。

人生の風雪に耐えて築いた表情だと思うがどうだろう。
地に足の着いた存在感があると思う。

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