漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(1)

   手塚治虫は晩年の大作「アドルフに告ぐ」について、こう述べている。

「・・・・『アドルフに告ぐ』は、ぼくが戦争体験者として第2次世界大戦の記憶を記録しておきたかったためでもありますが、何よりも、現在の社会不安の根本原因が戦争勃発への不安であり、それにもかかわらず状況がそちらのほうへ流されていることへの絶望に対する、ぼくのメッセージとして描いてみたかったのです。
もう戦争時代は風化していき、大人が子供に伝える戦争の恐怖は、観念化され、説話化されてしまうのではないか。虚心坦懐に記録にとどめたいと思って『アドルフに告ぐ』を描きました。なかでも、全体主義が思想や言論を弾圧して、国家権力による暴力が、正義としてまかり通っていたことを強調しました。・・・・」
(「ぼくのマンガ人生」 手塚治虫 岩波新書 1997年 p92~93)

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手塚治虫記念館特別展示「アドフルに告ぐ」

このとき、手塚は「戦争体験が風化」しているので、ふたたび戦争が起きるのではないかという「不安」、「それにもかかわらず状況がそちらのほうへ流されていることへの『絶望』」とまで、強い表現で戦争の危機感を訴えている。そこには、経験したものでないとわからない切実感があるのだろう。
それからまもなく20年近い年月が経たが、もしも手塚が生きていたら、今日の世界状況や日本国内の政治情勢を、どう論じるだろうか。手塚治虫の危惧したとおり、今は、新たな「戦前」なのだろうか。
私は、手塚治虫の切実感には説得力があると思う。

昭和の終わりに、まるで符節を合わせるようにして亡くなったことが、今更ながらに惜しまれる「マンガの神様」だったと思う。

  周知の通り、漫画「アドルフに告ぐ」は、第二次世界大戦前後の日本及びドイツでの全体主義・軍国主義の時代を舞台にしている。
そこに「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達(アドルフ・ヒットラーアドルフ・カウフマンアドルフ・カミル)が交錯するストーリーを主軸としている。
ヒトラーがユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡る角逐、2人のアドルフ少年の友情が巨大な歴史の流れに翻弄され、破綻していく悲劇。

そのなかで、作者自身の分身という「狂言回し役」の新聞記者・峠草平らをはじめ、多様な実在、架空の人物を登場させ、それぞれの絡み合いが織りなす数奇な人生航路を描いた。

ともかく面白いから、ついついストーリーを追うことだけに嵌ってしまい、手塚治虫の問題意識を見逃してしまいそうだ。

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アドルフ・カウフマン

  ヒトラーがユダヤ人の血を引くのではないかという、一時流行した言説にヒントを得て、マンガならではの表現の融通性を生かし、虚実織り交ぜた物語だった。

もちろん、「ヒトラー・ユダヤ人説」は、今日では学問的にはほとんど否定されているようだ。600万人ものユダヤ人を虐殺したという、ナチス・ドイツの張本人にユダヤ人の血が流れているというのだから、常識が引っくり返るような着想だった。

これは「火の鳥」で「騎馬民族説」を採用したことにもあてはまるが、一時世間で話題になったテーマを採り上げ注目を引く手法。手塚自身も認めていることだが、漫画だからこそ多少「センセーショナル」な動機が許容される融通性を生かした。

ヒトラーの出生にかかわる「超秘密事項」をつかんだ共産主義者や自由主義者と、これを抹殺しようとするナチスの諜報関係者との壮絶な暗闘。いかにも手塚マンガらしい、起伏に富んだストーリーで人気を博した。

それに、手塚マンガの場合は悪役でも憎めない「可愛げ」があるのだ。円を基調にした人や動物の絵柄の柔らかさに、その秘訣のひとつがあるそうだ。
しかし、やはり根本的には、作者のキャラクターだろう。育った宝塚の豊かな自然、そして比較的恵まれた家庭環境などが親しみやすい作風に反映しているように思う。
だから、かなり深刻なテーマを扱っているのだけど、そこにほっと救われるようなユーモアや優しさがあるのではないだろうか。また、そう感じさせる工夫が施されている。
ただし、面白さだけを追うのでは、もったいないなとも思う。

「アドルフに告ぐ」は今改めて読んで見ても、現代史を学ぶひとつの恰好の手引になるのではないかと思われる。そのうえで、あの時代のひとつの「真実」を自分なりに掘り下げてゆけばいいのだろう。作者の本当の狙いも、そこにあるのではないか。

ヒトラーの出生証明書類を巡る角逐は、やがて当時の日本で活動していたゾルゲを頂点とする国際スパイ組織にまでたどり着くやに見えた。そこからソ連に送られれば、ヒトラーには致命的なダメージとなるだろう。ソ連だけではない。日本を舞台にアメリカもフランスのエージェントもこの情報を手に入れようと激しい争奪戦が展開された。
証拠書類をゾルゲに渡そうとする地下活動家と、これをなんとか阻止したいゲシュタポや特高刑事たちの、壮絶なつばぜり合い。

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手塚治虫記念館に展示されたゾルゲ

しかしその試みは、惜しくも達成直前で潰えた。
官憲によるスパイ組織の一斉摘発のためだが、ここでスパイ容疑で特高に捕捉され尋問を受けるリヒャルト・ゾルゲが登場する。(第25章)

拘置所の取調べでゾルゲが自白する様子を描いているのだが、私には前後のストーリーからしてやや唐突な印象を覚えた。いわゆる「ゾルゲ事件」にはもっと大きな裾野があって、「アドルフに告ぐ」ではあくまで傍流のエピソードなので全体像までは描かれていないのが惜しい。これだけでは要するに一外国人スパイの話のように受け取られかねない。手塚が存命していれば、ゾルゲとその「国際諜報団」をメインにして、また別の大作に発展できたかもしれない。

昭和16年10月18日、東条英機を首班とする内閣が成立した、まさにその日にゾルゲグループは一斉検挙された。そして、10月24日に東京拘置所の取調室で、とうとうゾルゲは自白。
その場で大泣きする場面を手塚は克明に描いた。
調べて見ると、このときのゾルゲの振る舞いは、確かな資料をもとに描いたことがわかった。

孫引きになるが、秦郁彦著「昭和史の謎を追う 上」(文芸春秋社刊 1993年)を引用すると、
「・・・・つまり、1941年秋のゾルゲは、『進も地獄、退くも地獄』という窮地に追いつめられていたわけだが、彼は死の直前までソ連と国際共産主義への忠誠を捨てず、毅然とした態度で通した。吉河検事は、逮捕から一週間後に東京拘置所の2階教誨室で彼が告白した瞬間の情景を次のように回想している(三国一朗『昭和史探訪』)。」

「・・・・ゾルゲは下を向いて『紙をくれ』と言った。また、『鉛筆をくれ』と言った。渡してやると、その小さな紙片に書きました。自分で。『自分は1926年いらい国際共産主義者であった。今でもそうである。』とドイツ語で書いて、その紙を僕のほうへ投げるように差し出してきた。これはゆるぎない自白ですよ。
ぼくはびっくりしてゾルゲを見た。と、ゾルゲはいきなり上着を脱いで床に叩き付けて『負けた、はじめて負けた』と言って、こんどは机に手をついてワイワイ泣くんです。・・・・・・」

「アドルフに告ぐ」では、あくまでヒトラーの秘密の出生書類をめぐる闘いがストーリーの主旋律なのでやむを得ないが、その背景までは詳述できなかったのだろう。ゾルゲほどの大スパイが、最後になって身もふたもなく大泣きしながら自白に至った理由について知りたくなった。

既述したように、手塚治虫は「正義」の名のもとに残酷なユダヤ人迫害が行われ、侵略戦争が正当化された時代の暗部を書き遺したのだが、ゾルゲもまた一方の「正義」を信じて国際共産主義に身を賭したわけで、秦郁彦氏が突き放した指摘をしているように、その志が成就したとはいいがたい。摘発されただけではなくて、むしろ故国のスターリンによって無慚にも裏切られていた可能性も垣間見える。

だから自白では「日本の警察に負けた」無念さを嘆いているように見えるが、それだけではないように思えた。ゾルゲは自らの破局をある程度覚悟していたかもしれない。

リヒャルト・ゾルゲについて、もう少し自分なりに調べてみたいと思った。

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