The pianist「戦場のピアニスト」のリアリティー(1)

『戦場のピアニスト』(原題: The Pianist)は、第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。2002年公開。

カンヌ映画祭では最高賞であるパルムドールを受賞した。アメリカのアカデミー賞では7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚色賞、主演男優賞の3部門で受賞した。 主演のエイドリアン・ブロディはこの作品でアカデミー主演男優賞を歴代最年少で受賞したとのこと。
受賞発表のとき、場内では感動の余り、聴衆のスタンディング・オベーションは15分も続いたという。
さもありなんと思える、名作だった。

ユダヤ系ポーランド人の実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000)の実体験記を脚色して映画化した。

原作は戦争直後のポーランドで『ある都市の死』(Śmierć miasta)の題名で1946年に刊行されたが、東西冷戦下のポーランドではすぐに絶版処分を受けた。
スターリニズムが支配する共産党政権下にあっては、ユダヤ人を救ったのがドイツ軍将校という「実話」が、政治的に不都合だったからだ。

映画「カティンの森」で見たように、洋の東西を問わず、政治権力は自らの正当性に都合の悪い「真相」を隠そうとする。これは権力一般に通じる「本能」と言って良いだろう。
とくに、冷戦下の社会主義政権では、人間よりもイデオロギーが優先された。
これは、政治体制に限らない。国家や政党、あるいは企業・団体が作った「正史」などは、まずもって疑ってかかるべきものなのだろう。自らを正当化する手段だからだ。

日本で大学教授を務めるシュピルマンの息子アンジェイ・シュピルマン氏が亡父の原稿を発見、その復刊に取り組み、独語訳版が出版されたのは1998年、イギリスで英訳版が出版されたのは1999年になってからのことだったという。(日本語訳は2000年 春秋社)
真実が世界に知られるのに、なんと半世紀以上もかかった。

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それにしても、まことに衝撃的なシーンの連続といって良い。

ともかく、その迫力は月並みな感想では表現しきれない。
「ユダヤ」であるというだけで、極限の恐怖に突き落とされ、あっさりと「殺処分」される。人間存在に対する最大限の否定だろう。これは見るに堪えない。「これはあくまで映画だから」と自分に言い聞かせながらでないと見続けられない。それでも脳裏に刻み込まれるようなユダヤ人迫害の惨劇シーン。ロマン・ポランスキー監督自身の壮絶な実体験に裏打ちされているからだろう。

第二次世界大戦中、ワルシャワ出身ではないが、ポラ ンスキー家もまたナチによりクラクフのユダヤ人ゲットーに移住させられた。その後両親は強制収容所送りとなり、母親がアウシュヴィッツで死亡。この間、少年ロマンはゲッ トーを脱出し、複数のカトリック信者の家庭に助けられながら、ユダヤ人であることを隠して生き延びたのだそうだ。

それと、主人公ウワディスワフ・シュピルマンを演じた男優エイドリアン・ブロティの演技がまことに優れていると思う。ピアニストらしい繊細な役柄を作るために16キロも減量し、ピアノの特訓も受けた。物憂げな瞳とともに、病的にさえ見える痩身で廃墟のワルシャワ市内の死線をさまよって逃げ回る主人公を好演した。
彼自身もまた、ユダヤ系ポーランド人を父に持つ人で、父の家族もホロコーストで命を失っているという。他人事ではない。

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日本にはなじみのないユダヤ人差別。
「セム族」と「アーリア人」の違いなどといっても、日本人にはわかりにくい。あるアメリカ人が、日本人と韓国人の区別がつかないのと同じだと述べていた。

歴史的な接点がないからだろうが、この映画で、想像を絶する凄まじい民族差別の事実を、初めてまじかに接する思いだった。これまでは「知っているつもり」に過ぎなかった、と思い知らされた。

 そもそも「ユダヤ人」とは、いったいどんな人々を言うのだろうか。

実はここがとても肝心なところだが、いわゆる「ユダヤ人」と呼称すべき、正確な「実体」などはないのだそうだ。

「我々は日常『ユダヤ人』という言葉をなんのためらいもなく用いているが、いったい『ユダヤ人』とは誰を指すのかと問われると返答に窮する。
歴史的な見地から『ユダヤ人』をユダヤ教を信じる人々と規定するなら『ユダヤ教徒』と呼ぶべきであり、単に『ユダヤ人』と呼称するするのは適当ではなかろう。
また『ユダヤ人』をある人種や民族と規定する見方は19世紀以降のナショナリズムや社会進化論、また反ユダヤ思想の産物であり、もちろん正しくない。いうまでもなく、国籍を示す用語でもない。
『ユダヤ人』という言葉は、キリスト教文化圏では常に一種の宗教的差別概念として、また少数派、無国籍放浪者としての社会的差別概念を含む言葉として用いられてきた。そこにはいつもネガティブな意味があり、劣等、軽蔑、ののしりの表現でもあった。
・・・・現在、厳密に言えば『ユダヤ人』という用語に匹敵する人は存在しないのであり、イスラエル人やユダヤ教徒またはユダヤ教がもたらした伝統や文化を堅持している人々を指して、我々は『ユダヤ人』と呼んでいるのである。」
(「ユダヤ人とドイツ」 講談社1991年 大澤武男)

こんな曖昧な概念規定でしかないのに、
「第3帝国におけるいわゆるドイツ人(アーリア人種)とユダヤ人との関係を決定的な決裂へと強制したのは、いわゆる『ニュールンベルク法』の成立と施行(1935年9月15日)であった。この法により、ドイツで生まれ育ち、全くドイツ人であったことを疑わなかったユダヤ教徒市民は、突如国家市民権を剥奪された。・・・・・」
「ニュルンベルク法は、当時のドイツ国民にはほとんど抵抗なく受け入れられていった。」
(同書)

第一次大戦後、ヴェルサイユ条約で懲罰的に過重な賠償金を課せられた敗戦国ドイツに対する屈辱的な扱いへの反発や、折からの世界不況による閉塞感が、少数者のユダヤ人への差別、嫉妬、反感に火をつけ、政策的な隔離、暴力、そしてついには大量虐殺という蛮行へと発展した。
そのあまりに理不尽なプロセスは、今日の我々にとっても他人事では済まされない
と言える。
いま問題になっている「ヘイトスピーチ」にも繋がる人間の悪しき情念が、看取されるのではないだろうか。
自分を顧みても、本来平等であるべき人間に、どうしても優劣差をつけたがる暗い心理が存在する。競争社会がその風潮を煽る側面もある。

ドイツ人を「優秀なアーリア人の純粋な種」とするナチズムが、大衆の支持を背景に蛮行を正当化した。
そしてこのユダヤ人差別は、開戦後にはナチスドイツ占領地域に徹底され、史上類例のない大量虐殺(ホロコースト)へと拡大してしまった。
特にポーランドには300万もの「ユダヤ人」が住んでいたので、最大の犠牲者を生んだ。
ワルシャワ市内には開戦時に36万人のユダヤ人が生活していたが、解放されたときにはたった20人しか残っていなかったというのだから、その徹底ぶりには言葉もない。

先に亡くなったワイツゼッカー元大統領の「過去に眼を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」という言葉が、戦後の西欧の人々にドイツ人の「良心」として称賛された所以だ。

これに対して、戦後日本には、こうした精神性の高い政治家がほとんど登場しなかったことのほうが問題だろう。

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映画に戻ろう。
ユダヤ系ポーランド人であるウワディスワフ・シュピルマンは若くて将来性のあるピアニストだった。ところが第二次世界大戦が勃発しナチスドイツがポーランドに侵攻、以降彼を含むユダヤ人には過酷な差別、隔離圧迫、そして大量殺戮が待っていた。

強制移住させられたゲットーでは、「人狩り」と称する暴行、殺人が横行し、理不尽な強制労働を強いられたあげくに、一家5人は他のユダヤ人とともに絶滅収容所送りの運命となる。それもただたんに「ユダヤ人」であるという理由だけで。

あまりにも非道な侮辱、暴力、そして殺戮が日常的風景であるという異常。映画であることも忘れて、思わず息を飲む恐怖感。

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暗澹たる緊張感のなか、事態はたんたんと「終末」の予感を募らせてゆく。

この映画で初めて知ったのだが、同じユダヤ人の中でも要領よく支配者の側について警察官(自治警察)になり、同胞を容赦なく殴打した者がいたこと、ゲットーの中にもあからさまな貧富の差があったことなども、新しい発見だった。主人公の弟ヘンリクが指摘している通りだが、「寄生虫」のように要領よく生き延びようとした者がいたようだ。

つまり、ユダヤ人自身にとっても、恥ずべき史実がありのままに描かれている。単純な善悪二元論だけでは語りつくせない、歴史の「真実性」を暴露して見せた。

そうした地獄絵図のような状況の中でも、見つかれば自分の命を失う危険を顧みず、密かに抵抗の地下ネットワークを作り上げていた強靭な精神のユダヤ人がいた。更に、一人のユダヤ人ピアニストの命を救う戦いに自らの生命を挺した勇敢なポーランド人がいたこと、そして最後に登場するヴィルム・ホーゼンフェルトのようにナチス・ドイツの将校でありながら、密かにユダヤ人の命を救った信念の偉人がいたことに深く感動した人も多いと思う。

4人姉弟の長男である主人公ウワディスワフ・シュピルマンと弟ヘンリクの、運命に処する態度の違いがきちんと描かれている。それでかえってピアニストである主人公の個性も、輪郭がはっきり見えてくる。これが作品に深みを与えていると思う。

弟ヘンリクは、ナチの圧政やそのお先棒をかつぐ「自治警察」、私腹を肥やす「寄生虫」のような同胞たちに強い反感を隠さない。一方、兄の主人公ウワディスワフは、恥も外聞もなくそのナチ協力者に弟を助けてもらう。だが弟は少しも感謝などしていない。むしろ兄の従順な態度に終始批判的だ。軽蔑している風ですらある。

しかし、そのシュピルマン一家5人がいよいよ絶滅収容所行きの貨車に詰め込まれる直前で、自治警察の友人の機転で主人公一人だけがからくも脱出することになる。そしてこれが家族との永遠の分かれ目になってしまう。映画ではその後の家族の消息がまったく描かれない。シュピルマン以外は「絶滅」したことを暗示している。

一人だけ命拾いをした主人公は、強い悲嘆にくれる。
しかし生き延びようとする意欲だけは決して失わない。彼には音楽が、「ピアノ」があった。

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家族全員を失い、悲歎暮れる主人公

だが、発見されることを恐れてかすかな物音も出せない逃避行。どこに潜んでも、そこにピアノがあっても、模擬演奏で慰めるしかない。

この間にもユダヤ人の悲劇は続く。
1943年4月ワルシャワ・ゲットーで前途が「絶滅収容所送り」と知ったユダヤ人の絶望的な叛乱が勃発。ゲットーに閉じ込められていたユダヤ人が、密かに武器を蓄え、命がけで絶望的な叛乱を起こしたのだった。果敢な反抗はしかし、圧倒的なナチの武力に鎮圧される。
叛乱が起きる前にゲットーを脱出していた主人公は、ゲットーのすぐ外側の隠れ家からこの秘史の一部始終を克明に見た。
これも実話をもとにしている。

ユダヤ人は可能性がほとんどないと知りつつ蜂起せざるを得なかった。
このまま座して屈辱の中でただ虐殺されるよりも、闘って死んでゆくことを選んだ。
それは「悲劇」という言葉さえも空しいほどの、絶望的な蜂起だったのではないだろうか。
ありきたりの言葉では事実の深刻さを形容できない。

ゲットーの中の地下組織ネットワークでこっそり武器を運んだ主人公だったが、このときは外に逃亡していたので同胞の蜂起に何もできず、隠れ家から見ているしかなかった。ところが、主人公は意外なことに「敵も良く闘った」「無駄な抵抗だった」などという、聞きようによっては不謹慎な感想をすら漏らす。
そこには一種名状しがたい「諦観」も漂う。決して一筋縄ではない。

あるとき、隠れ家でわずかな食糧をあら捜しするなか、棚の崩れた音が原因で発見される。
このときの若い隣人の金髪の「アーリア風」女性が演じる、「ユダヤ人」を見つけたときの形相は恐ろしい。
ドブネズミのように潜んでいたユダヤ人を睨む、「差別感情」と「憎しみ」に歪んだ、まるで夜叉のような表情。「差別感」が人をここまでの「悪相」にすることを、描いているのだと思った。差別をぶつけられる側にいないと、そのおぞましさはわからないかのようだ。
素朴な道徳観念では割り切れない、人間性の暗い闇が覗いている。

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次に起きるのは1944年8月のポーランド人蜂起(これまた孤立無援だった)。これがドイツ軍に殲滅されたあと、ヒトラーの命令でゲットーや市街地が完全に破壊される。証拠隠滅をはかったのだろう。

完全に廃墟と化したワルシャワ市中。主人公シュピルマンは風雪舞う厳寒のなか、あてどもなく飢餓線上をさまよい、ある民家の屋根裏部屋に潜む。

この最後の土壇場で、偶然にも出会ったのがナチ将校のホーゼンフェルト大尉だった。月並みながら「地獄で仏」という言葉が妙にリアリティーを持って脳裏に思い浮かぶ。

命からがらの長期の逃避行と飢餓ですっかり憔悴したシュピルマンが、ホーゼンフェルト大尉に偶然発見され、その求めに応じて5年ぶりに、ショパンを引く場面がまことに圧巻。

廃墟の民家で、月光を浴る、浮浪者のような姿のシュピルマン。
一人のピアノ奏者として、哀切で激しい音律を奏でる。これを無言でじっと聞き入るナチス将校ホーゼンフェルト大尉。
二人の美しい姿が、この映画の白眉のシーンといえるだろう。

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映画では語られないが、実はホーゼンフェルトはこれ以外にも複数のユダヤ人の命を救った実在の人物だった。
ところがこの「偉人」の末路も又、とても悲惨な最後を遂げていた。

第二次世界大戦の末期の1944年に中隊長に転じ、1945年1月17日にソ連軍の捕虜となる。ソ連はホーゼンフェルトが諜報部に属していたと断定し拷問を加えたが、証拠も自白も得られなかった。
戦争犯罪の証拠がなく、しかもホーゼンフェルトを弁護する多くの人々の証言にもかかわらず、彼の不起訴と刑の執行猶予はソ連軍当局によって拒絶され、軍事法廷では諜報活動に従事した戦犯として、25年の強制労働を宣告された。
拷問や過酷な労働のため何度か脳卒中を起こし、更には精神に変調を来たした末に、スターリングラードの戦犯捕虜収容所で1952年に死亡したという。
これほどの人道の士なのに、聞くに耐えない悲惨な末路だった。

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ホーゼンフェルト

シュピルマンは戦後しばらくして、自分をこっそりと救ってくれたドイツ軍将校ホーゼンフェルトが、その後ソ連の収容所に送られたことを知った。
なんとか「恩返し」をしたいので、ホーゼンフェルトらドイツ軍捕虜が目撃されたという工場わきの跡地を訪ねたが、収容所はすでに跡形もなくなっていた。
その場で夕焼けの光を浴びながら、もの思いにふける主人公の表情には一種の諦念のようなものを感じる。

ここにはポランスキー監督自身の人生観が、色濃く反映しているのではないだろうか。

映画は戦後のワルシャワ。立派に再建された音楽施設でショパンをピアノ演奏するシュピルマンがエンディングを飾る。見事にピアニストとして再生したのだった。
しかし、ホットする気持ちと同時に、何かしら腑に落ちない不全感も残る。

惨劇は過ぎ去ったが、本質的な不条理さは何も解決していないからだろうか。まるであの厄災などなかったかのように、時だけが無常に流れた。

人間の情念を冷然と置き去りにして。

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